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一回の呼吸には、酸素原子、窒素原子が100万個含まれているそうです。地球上のあらゆる生物が絶えず呼吸しているわけですから、私の周りは、あんな人や、こんな人の肺を経由してきた空気ばかりです。経由する間に、私にとって、嫌いな人の肺も通るかもしれませんし、好きな人の肺も通るかもしれません。それを、より好みや選別して、吸い込む事はできません。

仏教の言葉で、『宿報』というか言葉があります。これは、「私の力ではどうにもならない」という意味です。どうにかしようと思って、どうにかなるような事は、ごく限られた事くらいしかありません。そもそも、生まれようと思って、生まれてきた人は誰もいませんし、老いや病も避けられません。死のうと思って死んでいけるわけでもありません。私たちは、「宿報」という、私の力が到底及ばない大きな流れの中で、さまざまなものの縁を借り、時には融通し合って生きていくしかできないのです。

中古の空気を皆で共有しているわけです。好きな人が吐いたて出てきた空気が充満している

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