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「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」 親鸞・愚禿鈔(ぐとくしょう)

 普段の何気ない会話の中に、愚痴に当たる部分が、どれくらいの割合で占めていることか。愚痴は良くないと分かっていても、ついポロっと出てしまうものです。ポロっとなら、まだかわいらしいですが、私の場合はそれで収まりません。また、『話すことがなくなったとです』と、ヒロシさんはおっしゃいますが、私なら黙る事すらできません。情けないかもしれませんが、僧侶の本音でもあります。
 我々が使う”愚痴”という言葉のルーツは仏教にあります。三毒の煩悩という、煩悩TOP3の中に入っています。煩悩で言う愚痴とは 、愚かさ、無自覚という意味です。TOP3ということだけあって、そう簡単に取り払う事ができない、とても根深いものであると言えます。
 弱ったり、不安な時に、そっと寄り添って下さるのが、仏教の教えです。一方で、ふんぞり返った姿勢や、伸びた鼻をそっと叩いてくださるのもまた、仏教の教えであり、親鸞聖人が示してくださったお念仏の教えです。
 自分の愚かさは、叩いて完全に無くなるものではありませんが、それでも仏様は、優しくトントンとたたき続け、教えて下さいます。

最近、曇り空の日が多くなって、写真も暗くなってしまいました。。あの哀愁漂う芸風とマッチしている。とポジティブシンキングしておきましょう。

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