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『ああ、弘誓の強縁多生にも値いがたく真実の浄信億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば遠く宿縁を慶べ』 顕浄土真実教行証文類序
今すでに仏教に出遇っている人は、自分の口に届いたナムアミダブツが一体どこから来たのかを考え、それを知る事で喜びがあるかもしれません。ところが大半の人は、それを知ることも考える事もなく、ただ人生を過ごし亡くなって行きます。仏法はすぐ近くにあるのですが、ほんのわずかな差で出遇う事ができないのです。もしたまたま何か不思議なご縁で仏法に遇えたのなら、それは言葉に言い表せないほど有難い事なのです。また喜びはゴールの先にあるのではなく、仏法に出遇いその道を歩み始めた所にあるのだと親鸞聖人はおっしゃいます。
そういう僕はと言いますと、たまたまこの時代に人間に生まれて、たまたま日本で滋賀の寺で長男で、たまたま父がわりと早く死んで、たまたま良い先生に遇えて、、、何かが1ミリでもずれてたら仏教に出遇ってなかったでしょうね。